インターネットでの誹謗中傷について考えるー木村花氏の自殺に寄せてー
木村花氏が自殺した。
原因はインターネットでの誹謗中傷だった。
以前から、インターネットに横行されるヘイトスピーチや、飛び交う罵詈雑言は問題視されていた。
言葉は人を殺すのだ。
今回は、この件について改めて考えてみた。
・まとめサイトにまとめられて
私は、このあいだまで、まとめサイトに纏められていた。
私は当初、その批判を甘受する予定だった。
私が批判されるべき事をしたのは事実であったし、反省するべき点は多かったからだ。
しかし、コメント欄を見る内に、「これは放置するわけには行かない」と思って来た。
・コメント欄という「無法地帯」
コメント欄には悪意が詰まっていた。
Twitterを漁って得られる個人情報の晒し。
交友関係と、私と交友があるものへの攻撃。
デマ。捏造。事実の歪曲。作り話。別人のエピソードさえ混ざっていたし、酷いものになると、私が被害者だった件が加害者と立場を入れ換えられて語られたものもあった。
如何にも荒唐無稽なものも多かったが、こうしたものに整合性はあまり求められない。
人は自分の信じたいものを信じ、面白いものを面白おかしく広めるからだ。
コメント欄はもはや記事と関係あるものの方が少なかったが、管理人も投稿者も当然、文責を負ったりはしない。
まとめサイトの典型的手口である。
コメント欄での吊し上げこそが目的なのだ。
私はたまりかねてクレームを該当サイトに入れたが、機械的な応答しか返ってこない。
私はコメント欄だけでも削除、クローズドにしろ、と管理人に言ったが、管理人は私の足下を見て、記事を削除して欲しければ絶対服従しろといってのけた。
当然、呑むわけがない。
どんな罪人とて裁判を受けられるし、弁護士は付くのだ。
私は話を打ち切った。
・被害者を待つ『ハードルの高さ』
私はまとめサイトが使っているサーバー、ネットオウルに問い合わせた。
これとて、管理者が教えてくれたわけではない。
こちらで調べ上げたのだ。
こういうものは、管理人は聞かれたらきちんとすぐに答えるべきではないのだろうか?
自分に悪意を持つ管理者に個人情報を渡したい人間などいるわけないだろう。
そこから先は長かった。
要求されたのは身分証明書のコピー、印鑑証明、問題のある頁の問題部分を蛍光ペンで引いたものを二部と、訴えの書式のPDFを保存、自分の事例に沿って編集したもののプリントアウト。
只でさえ心労に苛まれるなか、これらをすべて用意するのだ。
そしてそれらすべてを用意してネットオウルに送付。ネットオウルから返ってきた手紙は無情にも、「あとこれとこれの用意もお願いします」。
・その後
現在、そのまとめは削除されている。
理由はわからない。
ネットオウルから警告が行ったのかも知れないし、木村花氏の事件を知ってマズいと管理者が判断したのかも知れない。
ただ、そこに至るまで拡散されてしまった数は相当だし(20000PVを越えた、と管理者は誇っていたので、最終的にはもっと閲覧者はいた事だろう)、悪意と虚偽に塗れたコメント欄を信じた人もそれなりにいたのではないだろうか。
人は信じたいものを信じ、面白いものを面白おかしく広める。
結果として私は幾つかSNSを閉鎖した。
たいした個人情報は書いてなかったし、今は使ってないも同然のSNSだったが、それでもアカウントを削除した。
何故なら、悪意の第三者は交友関係にまで危害を加えるからだ。
まとめサイトは規制し、ネットでの誹謗中傷はされた側に正当な反撃の手段を与えるべきだと思う。
やったもん勝ち。プロパイダは責任を問われない。管理人もコメント欄にいる読者も、安全圏に自分がいるのを自覚している。
被害者は泣き寝入りか、泣き寝入りを拒否する場合は膨大な時間と労力を注ぎ込まされる。
そしてそこまでして尚、成果があるとは限らない。
それまでに拡散されたものも、人々の記憶から消えたりはしないのだ。
こうしたイビツなインターネットの在り方は、変えていくべきだと私は考える。
※追記
このブログを書いた途端に、まとめ記事は復活している。